ノッチは極貧時代をどう乗り切ったのか
ボキャブラの波、仕事ゼロ、マラソン、オバマものまね、そして家族の力まで

写真引用:日刊SPA!
お笑いコンビ「デンジャラス」のノッチさん(60)は、いわゆる“一発屋”では片づけられない人です。
最初のブレイクは「ボキャブラ天国」、その後は露出減、極貧、再起、再び変化……と、何度も浮き沈みを経験しながら、形を変えて生き残ってきました。近年は「鬼嫁キャラ」で知られる妻・友美さん、そして秀才ぶりが話題になった娘さんたちを含めた“家族の物語”としても注目されています。
この記事では、ノッチさんのキャリアを「極貧時代をどう乗り切ったか」という視点で、時系列で整理していきます。
ボキャブラ天国時代
最初のブレイクはあった。でも「安泰」ではなかった
ノッチさん(本名・佐藤望さん)は、太田プロ所属のお笑いコンビ「デンジャラス」の一員。太田プロ公式プロフィールでも、コンビ結成は昭和63年(1988年)とされています。特技欄にマラソン・トライアスロンが入っているのも、後の流れを知ると納得です。
日刊SPA!系のインタビューでは、デンジャラスの最初のブレイクが「ボキャブラ天国」だったと整理されています。実際、ノッチさん自身も「ボキャブラ」時代を大きな転機として語っています。
ただ、ここが面白いポイントで、ノッチさんは当時を“順風満帆”とは言っていません。エキサイトニュース掲載の同インタビューでは、芸人がメインで目立てた時期は実質半年ほどで、「早く次を見つけなきゃ」と焦っていたと振り返っています。つまり、人気番組に出ていても、本人の感覚としては「次がないと終わる」という危機感が強かったわけです。
この“浮かれて終わらない感覚”が、後の生存力につながっていったのかもしれません。
その後の極貧時代
「仕事ゼロ」でも、周囲に助けられて折れなかった
ボキャブラ後は、かなり厳しい時期に入ります。ノッチさん本人の言葉として、仕事がほとんどなく、事務所の先輩のロケに少し出してもらう程度だったこと、さらに同じ事務所の先輩たちにローテーションで食事を食べさせてもらっていた日々を語っています。特にダチョウ倶楽部の3人に世話になった、という話は有名です。
ここは「極貧をどう乗り切ったのか」の核心で、答えのひとつは“人に助けてもらうことを恥にしなかった”ことだと思います。
芸人の世界では、プライドが邪魔して崩れる人もいますが、ノッチさんは“先輩に食わせてもらった”ことを隠さず語る。これが、のちの「助けられ上手」「愛される余白」の強さにつながっています。これは才能というより、人柄の強さでしょう。
また、時期や媒体で表現は少し違いますが、どん底期の収入はかなり低く、シネマトゥデイでは「どん底時代のギャラは月2万8,000円」、SmartFLASHでは「月収は3万円まで落ちた」と報じられています。要するに、月2万~3万円台のレベルまで落ち込んだ時期があったということです。
マラソンを始める
きっかけは「健康」より先に、仕事を逃した悔しさ
ノッチさんの再起を語るうえで、マラソンは外せません。
しかも始めた理由が、よくある“健康のため”一本ではないのがリアルです。
日刊SPA!系インタビューでは、若いころの細いイメージでもやしっ子役の依頼が来たのに、当時は体重が増えていて「こんなはずじゃなかった」となったことをきっかけに、妻に相談。そこで「痩せるぞ!」となり、提示された運動の中にマラソンがあったと語っています。さらに、食事管理も含めて半年で16キロ減量したそうです。
ここで効いているのが、妻・友美さんの“マネージャー力”です。SmartFLASHでは、友美さんがもともと一般企業で管理職として人を育てる立場にいたこと、結婚を機に「夫を育てて再ブレイクさせよう」と会社を辞めたことが紹介されています。かなり本気で“再建”に入っているんですよね。
つまり、ノッチさんの極貧脱出は、本人の努力だけではなく、家庭内に“再生プロジェクト”が立ち上がっていたのが大きい。
この視点で見ると、後の展開が全部つながってきます。
オバマ大統領のものまねで再ブレイク
「似てる」を拾って、仕事に変えたのは妻の発想
2008年前後、バラク・オバマ氏の存在感が増した時期に、ノッチさんの顔立ちが注目され、ものまね芸として一気に再ブレイクします。日刊SPA!系インタビュー(エキサイト掲載)では、ノッチさん自身が「16キロ痩せていたから似た」と語っていて、マラソンの成果がここで仕事に直結したことがわかります。
さらに面白いのは、“発見者”が妻だった点です。ノッチさんは、最初に妻に「顔写真だけでもブログに載せなさい」と言われ、その写真を見た記者が取り上げてネットニュースで広がった、と話しています。まさに、ネタの種を見つけ、露出の導線まで作ったのが妻だったわけです。
実際、2014年の取材記事でも、ノッチさんはオバマ姿で登場し、定番の「Yes We Can」を披露しています。一方で同記事では、来日効果の仕事が「これ1本」と苦笑いする場面もあり、ものまね芸の難しさ(世相との連動の強さ)も見えます。
再び仕事が減る
でも今度は「鬼嫁キャラ」と夫婦出演で踏みとどまる
オバマ氏の任期満了後、ノッチさんの露出は再び減っていきます。この流れは、TV Bros.のインタビューや日刊SPA!系の記事でも触れられており、本人のキャリアが“時事ネタ依存”の影響を受けたことは否定できません。
ただ、ここでまた生き残るのがノッチさんらしいところ。
エキサイト掲載インタビューでは、オバマ退任後に仕事が減ったタイミングで、今度は妻が「鬼嫁」として取り上げられ、夫婦でメディア出演して何とかつないだと本人が語っています。
この“鬼嫁キャラ”は単なるバラエティのラベルではなく、背景には本当に家庭を立て直してきた文脈があります。東洋経済の記事でも、友美さんは芸人界の「鬼嫁」として知られ、ノッチさんの「いじられキャラ」を踏まえながら子どもの教育や家庭運営にも真剣に向き合っている姿が描かれています。
要するに、ノッチさんは「個人芸」だけで戦うのではなく、夫婦ユニット/家族ユニットとしての強さを持つようになった。これが二度目の失速を乗り切る武器になりました。
現在
走る仕事を軸に、家族の話題も追い風に
現在のノッチさんは、日刊SPA!系インタビューで「マラソン大会のゲストランナーとして呼ばれることが多い」「走る仕事が多い」と話しています。2023年・2024年の「FNS27時間テレビ」で100キロマラソンに挑戦したことにも触れていて、笑いだけでなく“走れる芸人”としてのポジションをしっかり築いています。
フジテレビの2024年告知でも「100kmサバイバルマラソン」企画の開催が案内されており、ノッチさんのようなランナー芸人の需要が続いていることがうかがえます。2023年の本人ブログでは、86kmでドクターストップになった悔しさと、家族への感謝も綴っていました。こういう発信からも、今のノッチさんの軸が“根性と家族”にあるのが伝わります。
そして家族面では、長女・叶望さんの中学受験密着(「スッキリ」)が話題になり、コロナ禍でノッチさんの仕事が激減・収入9割減という状況の中でも、家族で受験に向き合う姿が報じられました。さらに2026年には、次女について「全国模試で14万人中総合1位(小学2年時)」という快挙がテレビで紹介され、親子での出演オファーの話まで出ています。
なんだか温かい夫婦、いい家族だなあ、という印象ですね。
まとめ
ノッチが極貧時代を乗り切れた理由は「助けを力に変える」こと
ノッチさんのキャリアを振り返ると、極貧を乗り切った理由はひとつではありません。
先輩に助けられたこと、妻のプロデュース力、マラソンで体を作り直したこと、時代に合うネタを掴んだこと、そして家族でメディアに出る形へ広げたこと。全部がつながっています。
特に印象的なのは、ノッチさんが「一人で勝つ」タイプではなく、人との関係の中で生き残るタイプだということ。
だからこそ、何度落ちても戻ってこられる。そこに、ノッチさんのいちばんの強さがあると思います。


コメント